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充実のトルコ_思い出しながらの5日目_トロイの遺跡 [ -トルコ旅行]

トロイの遺跡

ドライブンでの土産物の買い物と休憩を済ませ、2時間程でトロイの遺跡に着いた。

到着したすぐにトイレ休憩。余談だが、ここのトイレ(無料)は、比較的綺麗であった。

バスの中でガイドさんが、トロイの遺跡は、あまり見る所が無い様な事を
ほのめかしていた。

トロイと言えば、歴史に疎い自分にでも、トロイの木馬の伝説がボンヤリでも頭を
カスメルほど、有名だと思っていた。
なので、あまり期待しない様にと言う意味なのだろう。

到着して目に付くのが、木馬の像だった。

中に入って、木馬に有る窓から顔を出したり出来る。
ツアー参加メンバーは、木馬の中に入って写真を撮ったりしていた。
”ベリーダンス”のお嬢さんは、木馬の窓から両手を出してVの字に満面の笑みを浮かべ、
他の参加メンバーから可愛かったヨの言葉を貰っていたのが印象に残っている。

しかし、この像は、地元の小学生用に最近立てられた物で言わば、遊園地のミニアトラクションの様な物だと添乗員さんが言っていた。
木馬自体のイメージは、映画に出てきた方が近いのでは無いかとも 言っていた。
ブラッド・ピット主演の映画に「トロイ」という映画がありその木馬のイメージが近いのでは
ないかと。
ガイドブックによると、1975年に復元され当時の大きさを再現しているらしいのだが。


トイレ休憩後、遺跡の観光に向かう。

遺跡の中は、発掘中の状態の様な印象だった。
エフェソスやペルガモンの様に綺麗に復元されているとはお世辞にも言えない。
しかし、この方が生々しい(真実味がある)と言えるかもしれない。
ただ、素人の自分には、何が何だか 印象に残っていない。
ガイドさんの説明を聞いた時は、何となく”ふーーん”と思っていたのだが。

と言う事で、写真は撮ったものの、上手く整理できず、ガイドブックやwebで調べた
コメントを拾いながら残しておこう。
でないと、益々分からなくなる。

トロイは、時代毎に町が重なり9つの市に分けられるらしい。


----チケットはこんなのです

トロイ_チケット.jpg


----木馬

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 この中から、顔や手を出して記念撮影していた。

 

 

 

 

 

 

----遺跡に入ってすぐにある遺構
発掘の整理用に柱などに番号が付けられている。

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----真ん中が通路で、下を水路が流れていたようで、その一部が見られます。

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----小劇場

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----聖域:{第7~9市(BC1200年頃~BC85年頃)}
犠牲の獣を捧げた台座や井戸 神殿

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井戸は生贄の血を貯めるためのものと、流すためのものの2つ らしい。

 

 

 

 

 

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 生贄の台座?

 

 

 

 

 

 

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 神殿跡?

 

 

 

 

 


----正門に向かう石畳の傾斜路

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敷石で舗装された坂道。高度な土木技術が発達していた事を示しているそうです。

{第2市(BC2800年頃~)}

 

 

 

 

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その横を歩くツアーメンバー。

 こんな木道で、見学路が作られていた。

 

 

 

 

 

 

 

----遺跡が幾重にも重なっている事の説明と地層

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 幾重にも重なった遺跡の説明の看板

 

 

 

 

 

 

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地層に番号札で 重なり具合を説明している

 

 

 

 

 

----シュリーマンが発掘した区域の一部
9層にわたって重なっているという、違う時代の都市層が見られるところ。
シュリーマンの発掘方法は良くなかった と ガイドが言っていた。

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----テントの下に保護されていたレンガ
下の方はオリジナルらしい

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充実のトルコ_思い出しながらの5日目_お土産(その2) [ -トルコ旅行]

2010.06.02(水):晴れ

朝、またも早いモーニングコールに起こされた。

朝食は、昨夜の夕食と違う階でのビュッフェ式であった。
食堂に入る時に、ツアー名を聞かれた。
このリスト中のどのツアーと言う質問だったがホテルに届けているツアー名が分からず
ルームNoを伝えて入れてもらえた。

7時にホテルを立ち、トロイ遺跡へ向かう。
途中、ドライブインの様なお土産屋さんに立ち寄った。

ここでは、オリーブオイルがお勧め とのガイドさんの言葉にノッカッテ
オリーブオイル と 蜂蜜入りのオリーブオイル石鹸 を買った。

オリーブオイルは、数ヶ月前からサラダのドレッシングとして使い始めていて、
独特の香りが気に入っていた。そんな折、2日程前のバスの中でのガイドさんの説明で、
トルコが名産地と言っていたので、是非買おうと考えていた。

ドライブインでの買い物を済ませ、時間があったので、うろうろしていると、
バスを洗車している所を目撃し、写真に収めてしまった。
休憩中に、地元の人に洗車してもっらっているのだ。それで、いつもバスが綺麗
なのかぁと妙に納得してしまった。
フト横を見ると、運転手さんが煙草をふかしていた。
言葉が分からないので、会釈をすると、運転手さんもニコッとしてくれた。


お土産の買い物を済ませ、バスは一路トロイ遺跡へ向かう。


----買ったオリーブオイルはこんなのです
250mLのペットボトルに入った物(軽いので、こちらがお勧めbyガイドさん)。
趣のある麻袋が付いてきました。


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----蜂蜜入りのオリーブオイル石鹸
ガイドさんお勧め。お肌がシットリする石鹸だそうです。
帰国後、細君が洗顔用に使っていてお気に入り。

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 右が1つの石鹸。

左は6個入りの箱。

 

 

 

 

 

 

 

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石鹸1つの拡大。

 

 

 

 

 

 

----我々の移動の主役:綺麗に成ってよかったね。

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休憩中にバスを洗っているお兄さんたち。

ご苦労様です、おにいさん。

お疲れ様、バスくん、これからも頑張ってネ。

 

 

 

 

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充実のトルコ_思い出しながらの4日目_夕食での会話 [ -トルコ旅行]

 夕食での会話

 4日目のホテル「グランド ホテル テミゼル」に着いたのが7時頃だっただろうか。

添乗員さんからの いつもの連絡。
またも、5時30分のモーニングコール。
今回は前日の様な”声”は出なかった。

この頃やっと添乗員付きのパッケージツアーのシステムに慣れてきた。(遅い!)

夕食は例に依ってビュッフェ式でツアー毎にテーブルが決められている。
今回は、たまたま 上品なおば様たちと同席になった。
子育てを終え、学生時代のお友達同士でツアーに参加されたのだ。

今日の観光の話で、お二人共少し疲れたご様子。
エフェソスでは1時間強歩き、ペルガモンでは急な坂があった...。

そのうち、今回の観光以外の話もする様になった。

一人の方は、あまり海外旅行はされないらしい。
飛行機の気圧差の調整があまり上手く出来ないと明るく仰っていた。
そう言えば、自分も一度、着陸時上手く出来ず 耳の鼓膜が おかしくなる 
のでは無いかと言う思いをした記憶がよみがえった。
今回も、イスタンブールへ着くときに、意識して耳抜きをしていたのだ。

もう一人の方は、海外旅行は慣れている様子だった。
海外旅行と言うよりは、海外に慣れているのかも知れない。
喋り方も何処となく落ち着いた。
色々な逸話を伺った。
ある時は、行きと帰りの航空チケットと初日と最終日のホテルの予約のみをして、
現地ではレンタカーで移動し、その時々でホテルを探しての旅行だったそうだ。
空いているホテルが中々見つからず、大変苦労した事も。
自分には、そんな芸当は到底出来ないなぁと思いながら聞いていた。

 

話の中で、ケーキ屋をしているので、ホームページでも見に来てくださいと
検索キーワード「アトリエ カトー」を教わった。

帰国後、HPを見に行くと、フランスとイギリスにお菓子作りの留学をされていた様だ。

そうこうしながら夕食を終え、旅の思い出のページがまた一つ増えた。

夕食後は、明日のモーニングコールに備え早々に床についた。

トルコの旅はつづく


充実のトルコ_思い出しながらの4日目_アクセサリ [ -トルコ旅行]

アクセサリ屋

若干体力を使った ペルガモン遺跡観光 の後、アクセサリ屋に立ち寄った。

後でツアー参加者が気付いたのだが、絨毯屋、革製品屋 と このアクセサリ屋は
同じ経営者らしい。看板に同じマークが入っていたらしいのだ。
この3つの店が、日程表に小さく書いてあった”最大3箇所のお土産店への案内”
だったのだろう。

アクセサリ屋は、トルコ石を扱っている店だった。
ここでも、店員(若い女性)は、日本語が上手であった。

自分はアクセサリの事は分からず、何気に眺めて 時をつぶしていた。

フト見ると、細君と店員がしきりに話し込んでいるではないか。
何となく胸騒ぎはしたが、気に留めない事にしていた。

しかし、世の中そんなに甘くない。

----胸騒ぎの結果がこれだ
  なんでも、トルコ石(青)とマーカサイト(葉っぱ)で出来ているらしい。

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アクセサリ屋を出て、今夜の宿泊地アイワルクへ向かったのが、6時頃だった。


充実のトルコ_思い出しながらの4日目_ペルガモン遺跡 [ -トルコ旅行]

ペルガモン遺跡(ベルガマ遺跡)

バスに揺られてしばらく平坦な道を走った後、少しずつ坂道を登りだした。
そのうち、坂が急になり、道幅も狭くなり、カーブを何度となく通過する。
何だか、スキーバスに乗っているのでは無いかと思えるほどだ。
程なく、バスが止まった。

そう言えば、ガイドさんは、アクロポリス とは 高い町 の意味です と
何処かで言っていた事を思い出した。
ここが、そのアクロポリスなのだ。

バスを降りて、チケットゲートをくぐり 少し登っていった。

さらに、少し上ってトラヤヌス神殿へ。

神殿は山の頂上付近に建てられているが、地面は平らである。
ガイドさんの話によると、平らに成る様に基礎を築いたのだそうだ。
古代の人が良くそんな事が出来るものだと関心しながら、基礎の中を通る。
基礎の造りの様子が良くわかる。狭いアーチの様な所を通ったり、
暗い通路を通ったり。ガイドさん任せに歩いていった。

暗い通路を抜けると急に辺りが明るくなり、野外劇場へ出た。
ガイドさん任せに、野外劇場の上の方から下へ向かって下っていく。
しかし、下を見下ろすと、これが 怖い。
しかも、山肌にあるせいか、下の方からかなりの風が吹き上げてくるではないか。
少し、バランスを崩すと、倒されてしまいそうな予感さえする。

おいおい、もうちょっと ゆっくり歩いてヨ と思いながらも、自分だけ
遅れる訳にいかづ、へっぴり腰で何とか階段を下っていく。
やっとの思いで、皆さんが一休みしている階段の中ほどの所に着いた。

景色は綺麗である。しかし、残りの階段を見下ろすと やはり怖い。
まだ降りるのだろうか と 心配しながら辺りの写真を撮った。
すると、幸いな事に、ガイドさんは横の方に動きだした。
ヨカッタ。もう、降りなくて良い。


そんな印象に残る体感をしながら、ペルガモン遺跡の観光をした。


----チケットはこんなのです
チケットには、ベルガマ遺跡と書いてあります。
旅行の行程表には、ペルガモン遺跡と書いてあった。
単なる発音の違いか。

ベルガマ_チケット2.jpg


----チケットゲートをくぐり振り返ってみた
結構高い。
あのバスが乗ってきたバス(だったけ?)。
左に見える瓦屋根が、チケットゲート。

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----トラヤヌス神殿

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----基礎を作っている通路

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----基礎を作っている通路を出た所からの様子

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----基礎の様子

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----野外劇場を下って中ほどから上を見上げたところ
階段の上に在る(左の上)小さな門から降りてきた。
見上げても怖い。

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----階段の中ほどから下を見下ろしたところ
 写っているのは自分ではありません。当たり前かぁ。

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----階段の中ほどから横を見たところ
傾斜の具合が分かるだろうか。

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----階段の中ほどから横の方へ歩いているところ
  一安心。

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----遺跡からベルガマ市内を望む

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充実のトルコ_思い出しながらの4日目_昼食 [ -トルコ旅行]

エフェソス観光後、ペルガモン遺跡へ行く途中のドライブインレストランで
昼食を取った。

昼食のとき、ツアー参加者全員同じテーブル(細長いテーブル)に成った。

昼食時の話題は、勿論 ファッションショー だ。
お陰で、和やかな昼食となった。
関西弁のおじさんとは、一つおいて隣だったので、ベーリーダンスの話題にも
花を咲かせる事が出来た。

おっと、肝心のメニューでは、シシケバブ(串焼肉)を食べた。
日本の焼き鳥(ハツ)に近い印象を受けた。もう少しやわらかいが。
串に刺さっている様子も、大きさも。
勿論、日本人の口には合う。

今頃気付いたのだが、"Efes"ビールのEfesはトルコ語で、”エフェソス”の事らしい。


昼食後、ペルガモン遺跡へ向かう。

到着まで時間があるので、例に依って、ガイドさんが話しを始めた。
トルコの習慣の話だ。食習慣の話を聞いた記憶があるが、ほとんど忘れてしまった。
朝は、必ず紅茶(チャイ)を飲む。
アイラン(ヨーグルト+水+塩)と言う飲み物があり、肉料理の時に飲む。
便秘の時は、ドライフルーツ(イチジク、アンズ、プラムetc)を前夜に水に漬けて、翌日飲む。
ケバブ(肉料理)の話
etc

そうこうしながら、トルコの道中はつづいた


充実のトルコ_思い出しながらの4日目_エフェソス [ -トルコ旅行]

 エフェソス遺跡

革製品販売所を後に、エフェソスへ向かう。

少し時間があるので、バスの中で、ガイドさんがお話を始めた。

トルコの歴史について。
トルコ人と言う様になったのは、1000年前位からだそうで、
昔は、ヒッタイト人がトルコ一帯を支配していたそうな。
その後、アレキサンダーが東西文化を統一し、
ベルガモ帝国時代、ローマ帝国時代・・・。
エフェソス神殿は、ローマ帝国時代の小アジアの首都だったそうな。
(歴史の苦手な自分には、よくはわからない)

キリスト教の3大都市は、エルサレム・コンスタンチノープル・エフェソス で、
その内の1つに、これから向かう。とのガイドさんの弁。

そうこうしている内に、エフェソスに着いた。

エフェソスには、例に依ってチケットで入る。
この頃には、チケットの通し方に慣れてきた。
----チケットはこんなのです

エフェソス_チケット2.jpg

 

中での観光の様子を順に羅列していく。
ガイドさんが説明してくれていたのだが、見所が多すぎて、すっかり忘れてしまった。
仕事とは言えガイドさんは、良く覚えているものだと関心する。
帰国後調べた事も織り交ぜておく(で無いと、何だか訳が分からなくなる)。

ルートは、南の入場口から入り、クレテス通り、マーブル通り、アルカディアーネ通り を通って北入り口へ至った。

■最初に、オデオン(だと思う)に行った。

エフェソスは、観光客が多く、迷子にならない様に、ガイドさんは
旗を持っていた。赤と青の”コイノボリ”の旗がそうだ。
確かに、これは分かりやすい。
オデオンは、1400人収容の音楽堂だそうだ。

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 ■プリタネイオン

プリタネイオン(=市議会堂)
エフェスの象徴・女神ヘスタの聖火が数世紀にわたり日夜灯り続けたらしい。

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■ニケのレリーフ
ギリシアの勝利の女神「ニケ」のレリーフ

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■クレテス通り
ガイドさんは例に依って”銀座通り”と笑いながら言っていた。
観光客がスゴク多い。ガイドさんが”コイノボリ”を持った訳が分かった。
それでも、迷子になりそうだ。

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 クレテス通りを下って行く

 

 

 

 

 

 

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 少し下ったところ。

正面に、ケルスス図書館が見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

■トラヤヌスの泉
2世紀初めのトラヤヌス帝に捧げた泉。

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トラヤヌスの泉の説明をしている。

こんか感じで、”コイノボリ”を持っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

■クレテス通りのモザイク
ケルスス図書館に向かってクレテス通りを下っていると
左側にモザイクの敷き詰められた小道があった。
昔のモザイクが、こんなに強い日差しを受けながら、今も綺麗に残っている。

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■スコラスティキアの浴場?(間違ってたらm(__)m )
入り口のスペースに像(再建した人の像?)がありました。
女性だそうです。
中は・・・壁しか撮っていない・・・なぜだろう(これが浴場だったと思う)

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■ハドリアヌス神殿
2世紀前期、ハドリアヌス帝に捧げられた神殿

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■公衆トイレ跡
下には水が流れていたそうな。
下水道完備って感じでしょうか?
もし流れが無かったらと想像すると、かえって大変ですが...。
それにしても、この時代に大したものです。
我が実家で下水が通ったのは、つい数十年前ですから。

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トイレ跡。

切り込みがあるので、使い方が分かりやすい。

 

 

 

 

 

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トイレの下。

水が流れていたらしい。

 

 

 

 

 

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トイレと聞くと ”つい座ってしまう人” がいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ケルスス図書館
遠くからでも目立つ。

2世紀中頃に建てられたものらしい。
建築当時はアレキサンドリア、ベルガモの図書館とともに、
世界の三大図書館として知られていたらしい。
今世紀初頭に発見されたときには相当破戒されていて、
1970年に修復された。
12000巻の書物が所蔵されていたといわれる。

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ケルスス図書館に向かって右側

 商業地アゴラに続くマゼウスとミトリダテスの門。

 

 

 

 

 

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 待ち合わせ場所でツアー客が図書館から戻ってくるのを待つ ガイドさん(黄) と 添乗員さん(赤)。

 

 

 

 

 

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 ケルスス図書館に向かって左側

 抜けるような青空、緑に映えた丘と 遺跡のコントラストが美しかった。

 

 

 

 

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 スコラスティキアの浴場の踊り場から望む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 スコラスティキアの浴場の踊り場から望む。

 

 

 

 

 

 

 

 

■マーブル通り

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ケルスス図書館見学後の待ち合わせ場所から、マーブル通りを撮影。
すごい人だ。

ケルスス図書館に向かって右の方にマーブル通りが続く。

 

 

 

 

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 マーブル通りに残された古代の落書き、広告(?)

足の形と その上に女の形 足の左にハートマークがある。女の姿とハートマークで娼館を表し、足形は、娼館が前方左にある事を表しているらしい。

 

 

 

■野外劇場 と アルカディアーネ通り
マーブル通りから 野外劇場 を抜けて アルカディアーネ通り へと
移動した。

 

野外劇場:半径151m、傾斜220度、高さ約30m、収容人数約24,000人。
古代ギリシャ時代に山の傾斜を利用して建てられ、その後西暦1~2世紀に修復された、トルコで最大の古代劇場 らしい。(web書込みによる)

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アルカディアーネ通りから、野外劇場 を撮影。

野外劇場の右(マーブル通り)から中を通り抜けて来た。

 

 

 

 

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野外劇場の中を通り抜ける時の様子。

ゲートをくぐっているとき。

 

 

 

 

 

アルカディアーネ通り:古代の港に向かう大通り。両側に列柱が並び商店が続いた。最盛期、夜は列柱に灯がともされたらしい。当時街灯があったのは、アレキサンドリアとローマだけだったそうだ。ここを、クレオパトラとアントニウスが歩いたかもしれない。(by ガイドブック)

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野外劇場から、アルカディアーネ通りを撮影。

道の真ん中で、地元の人がローマ時代に扮して路上劇をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

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路上劇の様子。

帰国後、一部分を切り抜いて作った画像。

 

 

 

 

 

 

 


充実のトルコ_思い出しながらの4日目_お土産(その1) [ -トルコ旅行]

2010.06.01(火):晴れ

朝、早いモーニングコールに起こされた。
朝食は、昨夜の夕食と同じプールサイドでのビュッフェ式であった。
料理を選んでいると、昨夜の二人づれのお嬢さんと出会い、会釈をした。
早々に朝食を済ませ、ホテルを後にした。

今日は、エフェソス遺跡とペルガモン遺跡へ行く予定だ。

予定表では、エフェソス遺跡まで3時間ほど掛かるらしい。

途中、トイレ休憩を兼ねて、土産屋さんに立ち寄った。
土産屋さんでは、お菓子の類を売っていたので、会社の土産用にお菓子を買った。
昨日バスの中でガイドさんが言っていた、
「ピスタッチオ を ギュウヒ」で包んだお菓子”ロクム”を10個も。
10個買うと、1つオマケを付けてくれる。

ガイドさんは、なぜか、売る側の場所に立って色々勧めていた。

----買ったお菓子はこんなのです

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その後、革製品(服)を販売している所に立ち寄った。
(例によって、ツアー会社と提携しているのだろう)
最初、店の製品の宣伝のファッションショーを見せられた。
会場は、よくTVで見る シャモジの柄の部分を長くした様な作りで、高さはそんなに高く無く、周りの椅子に座って見ると言うものだ。  

このショー、一通りステージが終わると、客を何人か即興のモデルとして舞台に上げ、
次のステージでは、モデルさんと即興モデルが一緒に現れると言う趣向だ。
ステージに上げられたのは、 あの 関西弁のおじさん と セレブな感じの奥様
それに パワー溢れるお姉さん(奥様) だった。
場の雰囲気作りに馴染んできたのか、関西弁のおじさん と お姉さんは、アドリブを織り交ぜる。
二人は、すっかり我がツアーの人気者だ。

カメラに収めるのも忘れて、ショーを見てしまった。

ショーの後、革製品の販売場所に通されて、販売攻勢にあった。
(ヨーロッパで)有名な最新のデザインで、製造しているので安く買えるらしい。

元々、革製品にあまり興味が無いせいか、自分には、
最新のデザインとやらが どうも シックリ 来ない。
販売員がしきりに勧めに来るのであるが、そんな気持ちを察して
、少しマトワリついた後は、他の人の所へ行った。
この点では、絨毯屋よりは良心的だ。

ツアー会社の面子が立つであろう頃合をみて、会場を出て、庭で休憩していた。
ふと見ると、孔雀が歩き回っているのが目に入った。
予想外だったせいか、いつの間にか、カメラのシャッターを切っていた。

折角なのでUPしておこう。

----革製品屋さんの庭で

なんだか動物園みたいですが、つかの間の安らぎが。

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充実のトルコ_思い出しながらの3日目_ホテルのベリーダンス [ -トルコ旅行]

おまけ:ホテルの夜

ネクロポリスを後にして、今夜の宿泊地「スパ ホテル コロッセア テルマ」に7時頃着いた。

ホテル着後、明日のモーニングコールが5時30分との添乗員さんからのお知らせ。一同”えーぇ”の声も、一旦解散する。

夕食は、ホテルの屋外プールのプールサイドでのビュッフェ式であった。テーブルの場所は、ツアーで指定されていて、セレブ風のご夫婦、関西弁のご夫婦と同席に成った。食事しながら、いろんなお話をし、少しづつ参加メンバーとの垣根が低く成ってきた。これも、パッケージツアーの良い点かもしれない。

食事後、少し時間が有るので、温泉にでも行こうかと考えながら歩いていると、ベリーダンスショーの看板が目に入った。9:30~で、1ドリンクを頼めば良いらしい。結局、ベリーダンスを見る事にした。

9:30少し前に、プールサイドへ行き、ソフトドリンクを頼んで、ショーの開始を待っていた。少し時間が早かったのか、殆ど客は居なかったが、しばらくすると、何組かの人たちがやってきた。その中に、ツアーの参加者が2組居た。関西弁の夫婦と2人連れのお嬢さんだ。お互い、”オヤ”って言う感じで目配せした。

そうこうしている内に、ベリーダンスショーが始まった。

踊り子さんは、若いスマートなお嬢さんで、腰使い、胸使い など さすが上手だ。

カメラのシャッターを押したが、夜の屋外で暗く、踊り子さんとの距離も少しあったので上手く写らなかった。(自分が下手であるのが一番だが)                       以降、撮影は諦めて、ショーを楽しむ事にした。

帰国後、加工してなんとか(幽霊の様ではあるが)踊り子さんが見える写真が2枚有ったので、UPしておく。

ベリーダンスショーは初めて見たので、踊り子さんが踊るだけだと思っていた。しかし、一通り踊り終わると、客を呼んで一緒に踊ると言うショーであった。

最初は、男性客3人を踊りスペースに呼んだ。踊り子さんが、面白そうな人(?)を指名して呼ぶのである。その中に、なんと あの 関西弁のおじさん も居た。

呼ばれた客は、一人づつ 曲に合わせて踊り方を身振りで踊り子さんに教わり、続いて一人で踊る。踊り終わると、順番に退場していく。

客は勿論素人なので、下手なのだが、これが また面白い。

男性客が終わると、今度は女性客3人を呼んだ。その中に、2人連れのお嬢さんの一人と細君がいた。

お嬢さんは、最後に踊ったのだが、3人の中では一番上手に自分には思えた。後で聞いた話であるが、このお嬢さんは、ベリーダンスを少し習っているとの事だった。

最後に踊り子さんが各テーブルを廻ってきた。前のテーブルの客が、スカートにチップを入れていた。自分のテーブルに来た時も、同じようにチップを渡した。欧米系のショーの雰囲気を少し味わえた様な気がした。

この一件いらい、また少し、ツアー参加者との垣根が低くなった。

そんなこんなで、3日目の夜が有意義(?)に終わり、翌日のモーニングコールに備え早々に床についた。

--ベリーダンスを踊る踊り子さん

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  踊り子さんの雰囲気は伝わるだろうか

 

 

 

 

 

 

 

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 フラッシュが上手く届かなかった。

まるで、幽霊の様になってしまった。

 

 

 

 

 

 


充実のトルコ_思い出しながらの3日目_パムッカレ(ネクロポリス) [ -トルコ旅行]

ネクロポリス

遺跡プールを後に、右手に遺跡群を見ながら、ネクロポリス方面へ歩く。

少し歩いて、”古代の銀座通り”とガイドさんがジョークを飛ばした当時のメインストリートを歩いて、思いを馳せた。

メインストリートを抜け、浴場を見て、ネクロポリスへ。ネクロポリスは、道沿いに墓の遺跡群がある。ガイドさんが説明をしていたのだが、すっかり忘れてしまった。

この頃になると、 だんだん疲れてきて、ガイドさんとの距離が離れていく。それにしても、ガイドさんは元気だった。

”少し歩く” と 事前に聞いていたが、結構な距離に感じられた。

ネクロポリスを過ぎて、駐車場からバスに乗り、今夜のホテルへ向かった。

ネクロポリスとは、”死者の町”と言う意味だそうです。

----ネクロポリス方面へ

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遺跡プールから”古代の銀座通り”へ向かう途中。

右側の山沿いに遺跡がある。

右後方には、野外劇場跡があったが、そちらにはいかなかった。

広々ーーっ とした山沿いに遺跡があった。

 

 

--手前の門から”古代の銀座通り”を望む。

後で調べたのだが、この手前の門は、ビザンティン門 、先に見える門は、ドミティアヌスの門 だと思う。(ガイドさんの説明をすっかり忘れてしまった)

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--ビザンティン門から、歩いてきた方を振り返る。

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--”銀座通り”を歩くツアー参加者の皆さん。

古代の人たちも、こんな風に歩いていたのだろうか。

人と時間は違うが、同じ道。

昔の人の足音、それとも、ワダチを行きかう荷車の音が聞こえるだろうか。

この頃は、まだ皆さん かたまって 歩いている。

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--ドミティアヌスの門

右に有る柱は、トイレの跡だそうな。

アーチ(右側)の奥に見えるのが、浴場跡。

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トイレの跡の説明をしている ガイドさん

それなりのお歳の様であったが、元気いっぱいであった。

なんでも、ガイドに成る前は、地熱学(?)の研究をしていたそうな。そう言われれば、そんな風貌が漂っているかも...。

 

 

 

 

 

 

 

--ドミティアヌスの門を振り返る

ドミティアヌスの門を抜けて歩いてきた方を振り返る。アーチの奥に見える門がビザンティン門。

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--浴場跡

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--ネクロポリス

道沿い右側に、いろんな石棺(墓)があった。広々とした山麓一帯に広がっていた。多くの人が生きていたのだ。

立派な物もあれば、こじんまりとした物もある。今も昔も変わらない。

今見ると、雄大な景色の中に溶け込んでいるが。

この頃になると、ツアー参加者の列が 長ーーーく 伸びてしまっていた。

皆さんお疲れの様子。ガイドさんは、元気に遥か先頭を切っていて、時折電波が途絶えながら 声だけがワイヤレス受信機から聞こえてくる。

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