工場内の建物 [旅行]
富岡製糸場 つづき です。
ブリュナ館:
製糸場の指導者として雇われた フランス人 ポール・ブリュナ が
家族と住んでいた住宅。
製糸場の指導者として雇われた フランス人 ポール・ブリュナ が
家族と住んでいた住宅。
最初の映像では、ブリュナは最初横浜に住んでいて、こちらの指導者として
雇われたそうです。
そういえば、横浜に、シルク博物館 が あるのを思い出しました。
いつも素通りばかりですが、なんだか親近感が沸いてきます。
雇われたそうです。
そういえば、横浜に、シルク博物館 が あるのを思い出しました。
いつも素通りばかりですが、なんだか親近感が沸いてきます。
世界遺産の碑がブリュナ館の奥に建てられていました。
榛名寮:
女性従業員の為の寄宿舎。(大正7年(1918年)築)
このガラス戸、昔の学校もこんな感じだったかなぁ。
診療所だってあります。
女性従業員の為の寄宿舎。(大正7年(1918年)築)
このガラス戸、昔の学校もこんな感じだったかなぁ。
診療所だってあります。
ブリュナ館から正面に戻る道:
左にみえる 建物(正面入り口から見える建物)は、国宝なんだそうです。
写真を整理していて気づきました。
「東置繭所」は、富岡製糸場が操業した1872年に建てられたそうです。
左にみえる 建物(正面入り口から見える建物)は、国宝なんだそうです。
写真を整理していて気づきました。
「東置繭所」は、富岡製糸場が操業した1872年に建てられたそうです。
検査人館:
生糸の検査などを担当したフランス人技術者の住居として
建てられたそうです。
生糸の検査などを担当したフランス人技術者の住居として
建てられたそうです。
社宅もありました。
帰りに、入口近くにある碑を記念に。
これは、分り易いですね。
これは、片倉工業記念碑 と 書いてありました。
明治6年の皇后・皇太后の行啓記念碑
これは、分り易いですね。
これは、片倉工業記念碑 と 書いてありました。
明治6年の皇后・皇太后の行啓記念碑
駆け足で、富岡製糸場をみてまわりました。
この後、足利にある宿へ向かいました。
今日(2019.05.26)は、32℃と暑かったので、エアコンをかけようとしらた、故障。
うーーむ、やむなく、電気店へ買い替えに出かけてしまいました。
何かが壊れだすと、なんだか続くきがします。
うーーむ、やむなく、電気店へ買い替えに出かけてしまいました。
何かが壊れだすと、なんだか続くきがします。
コメント 0