'24_6月_長谷寺7-本長谷寺&五重塔&アジサイ [神社仏閣]
2024.07.12(金):
今日は朝から凄い雨。
その語、昼頃には、曇りに。
天候は変わりやすいですね。
その語、昼頃には、曇りに。
天候は変わりやすいですね。
今回は、長谷寺の続きです。
(6月26日撮影)
前回は、大黒堂~弘法大師御影堂でしたが、
今回は、本長谷寺、五重塔界隈です。
今回は、本長谷寺、五重塔界隈です。
本長谷寺(もとはせでら):
天武天皇の御代(六七三~六八六)
道明上人が勅願を受けて精舎(石室)
を此の地に設けたことから本長谷寺 と呼ばれる。
五重塔:
昭和29年、戦後日本に初めて建てられた五重塔で、
昭和の名塔と呼ばれております。
立札抜粋:
三重塔が劫火に焼亡せしより
七十八年の長きに亘り山上に
一基の塔も見ることなく、
天武天皇の御代(六七三~六八六)
道明上人が勅願を受けて精舎(石室)
を此の地に設けたことから本長谷寺 と呼ばれる。
五重塔:
昭和29年、戦後日本に初めて建てられた五重塔で、
昭和の名塔と呼ばれております。
立札抜粋:
三重塔が劫火に焼亡せしより
七十八年の長きに亘り山上に
一基の塔も見ることなく、
然るに昭和二十九年(一九五四)
機緣熟し全国三百万檀信徒の
願いを結集し建立せられる
機緣熟し全国三百万檀信徒の
願いを結集し建立せられる
三重塔があったんだと思って振り返ると、
三重塔跡 が ありました。
立札から抜粋:
天武天皇の御代(六七三~六八六)
道明上人の創建と伝わる かつては
塔内に国宝銅板法華說相図が安置さ
れており慶長年間(一五九六~一六
一五)豊臣秀頼により再建
明治九年の祝融の災いの折には塔は
全焼するも銅板法華說相図は寺僧が
運び出して難を逃れた
立札から抜粋:
天武天皇の御代(六七三~六八六)
道明上人の創建と伝わる かつては
塔内に国宝銅板法華說相図が安置さ
れており慶長年間(一五九六~一六
一五)豊臣秀頼により再建
明治九年の祝融の災いの折には塔は
全焼するも銅板法華說相図は寺僧が
運び出して難を逃れた
五重塔界隈のアジサイ
この当たりにもアジサイが綺麗にさいていました。
心なしか、色がくっきりしている様な気がします。
心なしか、色がくっきりしている様な気がします。
山並みを望む
アジサイと山並みが綺麗でした。
まだ続きますが、次回以降。
境内マップ(抜粋)
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